ふと何か楽器でも練習してみようかなと思うことがあります。中国語や独語、仏語に接したりすると、もう一度やってみようかなという気にもなります。大学で専攻した哲学や、好きな日本史を学び直そうかな、俳句を本格的に始めようかなと考えたりもします。しかし、それもそのとき限りのことで、「いかん、いかん、また気の多さが出てきた。そんな時間は私には残されていない」と思い直します。
キリストから受けた「永遠の命(神の国)」の実を人生で具体的に結ぶこと、それに時間と労力を注がなければならないと思うからです。人生は実を結ぶためにあります。「良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます」(マタイ7・19)。果樹園のぶどうの木は、枝を伸ばし、葉を茂らせ、花をつけても、実を結ばなければ、ぶどうの木としては扱われなくなります。ですから、人生で良い実を結ぶことに、すべてを集中させなければなりません。
楽器や言語や哲学、歴史を学ぶことは良いことです。しかし、人生で良い実を結ぶことに直接、「主力」を投入していかなければなりません。「主力」の一部を他のことに割く余裕はないのです。新たに外国語をものにしても、今の私の場合、それが神の国の実を結ぶことにはつながりません。実につながらないことには、手を出さないようにしなければなりません。
もちろん余暇や趣味を楽しんでいいのです。しかし、そこに「主力」を割いてはなりません。人生いろいろなことに手を出したが、何も良い実を結ばなかったというのは悲劇です。一つのことにだけ力を注いだおかげで、多くのことはできなかったが、豊かに実を結んだ、という人は幸いです。実は、人生で本当に大切なことというのは多くはありません。「いや、一つだけです」(ルカ10・42)。
もしあなたの「主力」が分散しているなら、「一つだけ」に集中させませんか。
(2005-1-30)