どんな境遇でも

  学生のころ視力には自信があり、細かい字の読み書きを続けていましたら、2・0が0・2になってしまいました。眼科医から、目のレンズが弾力性を失っていると説明され、2種類の眼薬を渡されました。一つはレンズを膨らませ、一つは逆に薄くさせる薬で、それを交互に点眼することにより、レンズの弾力性を回復しようというものでした。そのおかげで一時は1・0まで回復しましたが、結局は維持できず、強度の近眼になってしまいました。目の前20センチのものしかはっきり見えないという状態でレンズが固定したわけです。

しばらくはメガネをかけるのがいやでした。異物が肌に触れることと見かけが気になったのです。でも、裸眼では現実には対応できず、不便であり、特に駅を走るときは危険でした。ついにメガネが必要だと認めざるを得なくなりましたが、実際メガネをかけたときは、正常な視力を持つ人の世界はこんなに違うのかと思いました。

  ところで、あなたの心は弾力性を保っておられますか。自己中心や傲慢や劣等感で固まってしまい、現実に対応できなくなっているのが、私たちの心ではないでしょうか。

  聖書にこんな言葉があります。「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」(ピリピ4・12)。この柔軟さはどこから来るのでしょうか。この人はもともと心が固まっていた人でした。しかし、彼の心は、キリストを通して現実を見るということを覚えたのです。

  本当は「裸心」で自分の現実をありのまま見られればいいのですが、「裸心」では対応できず、現実が歪んで見え、危険な状態に陥ります。パニックに陥ったり悲観的になったりしたとき、キリストをメガネとすることを思い出してください。「裸心」で見るときとはまったく異なる世界があることがわかるようになります。

(2005-2-6)