アンジャッシュというお笑いコンビがあります。そのうちの一人、渡部という人が複数女性と不倫をしていたことが発覚し、活動自粛となりました。もう聞きあきたような話ですが、今回は、相方の児嶋さんの言葉が気にかかりました。
「(渡部の振る舞いに疑問は持っていたが、)僕なんかより全然売れてるのもあって、なかなかアイツを叱るのが立場的にしづらくて。アイツに何かを言うってことは10年ぐらいなかったかもしれないですね。やっぱり立場的には僕のほうが弱かったですよ」と言うのです。
コンビの中で人気に格差が生じ、成功している相方の問題行動を指摘するのは、やっかみ・妬みと思われるので、できなかったのです。
今の日本には、「成功している人間を批判するのは嫉妬である」という見方が浸透しているそうです。それゆえ、成功者に隠された倫理的な問題や、自己顕示欲、利己的などの人格的問題があっても、忠告するのが憚(はばか)られます。善意で忠告しても、「それはあなたの嫉妬だよ。自分も成功してから言えよ」と返されるからです。あるいは、嫉妬していると誤解されたくもないので、たいていの人は黙ってしまうのです。
今の社会、成功が人を黙らせます。ときには成功が正義になります。キリスト教の世界でさえ、成功が正義であり、神の力の証しとする傾向があります。
真実は、その逆でしょう。正義が人を黙らせるのです。正義に立つことが成功なのであって、成功すれば正義なのではありません。また、正義が力なのであって、力が正義なのではありません。正義が勝利に導きますが、勝利すれば正義なのではありません。クリスチャンでさえも、人間中心に考えるようになり、このような価値観で「神の証し」をするようになってしまうのです。
私たちは神中心の視点で証しをし、ときには人に忠告を与えます。確かに、嫉妬は罪であり、またさらなる罪の源にもなります。しかし、聖書の価値観に立てば、嫉妬から解放されます。嫉妬から解放されているなら、正は正、不義は不義として、恐れなく語ることができます。