人間は生来、怠け者です。脳も体も、楽をしよう、楽をしようとします。心を尽くし、知恵を尽くし、全力を尽くして怠けようとします。
それは私自身、実感するところです。怠けるためなら、いろいろ言い訳を思いつき、楽な道を選びます。しかし、私が接してきた牧師の多くは、真似をしたくないほど勤勉でした。天国へ行ってから休むという牧師もおられました。
聖書は、「怠け者よ、蟻(アリ)のところへ行け。そのやり方を見て、知恵を得よ。・・・怠け者よ、いつまで寝ているのか。いつ目を覚まして起き上がるのか」(箴言6:6、9)と怠惰を戒めています。身に染みる言葉の一つです。もっと勤勉であったなら、私も多くの働きができたのではないかと思ったりします。
でも、ふと、「蟻のやり方」とは何を指しているのかと考えました。
蟻の群れの中で「非常に勤勉な働き蟻」は全体の20%、「普通の働き蟻」は60%、残りの20%は働かない「遊び蟻」だそうです。しかし、「働き蟻」は「遊び蟻」に不満をもっていません。遊び蟻は何もしていないようでも、実は、働き蟻にはない特別な能力で群れに貢献しているからです。たとえば、働き蟻は巣から遠く離れると戻れなくなりますが、遊び蟻には帰巣能力があります。また、働き蟻がいなくなったら、遊び蟻が替わって働き始めます。遊び蟻はその準備ができているのです。ほかに知られざる役割を果たしているのかもしれません。
うん!ひょっとしたら、「蟻のやり方」とは「働き蟻」のやり方に限らず、蟻の群れ全体のやり方のことではないか。私は、20%勤勉、60%普通、20%怠惰という生活をしているが、それで自分は怠け者だと思うのは、勤勉100%のような先輩・同輩牧師ばかりを見てきたからではないか。
そんなふうに考えるのは、やはり怠け者の言い訳なのでしょうか。それでも「遊び蟻」のように、有益で役に立つ怠け方を生きたんだと自分を慰めたいと思います。
ところで、教会には勤勉に主に仕える方々がおられます。自分は「遊び蟻」だと思っている方々、後を継ぐ心づもりをなさっていてください。