教会の中に入るものを見張る

最近、アメリカにおける人種間の経済格差に関する番組を観ました。

 貧富の差が埋まらない大きな理由の一つは、不動産です。家や土地は、将来的に値上がりして、大きな財産となります。しかし黒人の人々は全体的に所得が低く、なかなか不動産を購入できず、このことがさらに、所得や教育の格差を生んでいました。

 これを解決しようと、クリントン政権がテコ入れを始めます。不動産購入を後押しする政策を進めたのです。それを受け、住宅会社は、低所得者向けの高利住宅ローンである「サブプライムローン」をひっさげて、黒人教会に営業をかけ始めます。

業者の話を聞いた黒人の兄弟姉妹たちは、希望を抱きました。「これなら、所得の足りない私たちでも家が買える。家は、子どもたちの財産となり、将来値上がりして、黒人全体の生活水準の改善にもつながるだろう」と。それで、提案されたローンを組み、次々と家を購入するのです。

このとき、黒人教会の中には、低所得でない人々、通常のローンを組める人々もいました。しかし、彼らの多くも、教会内の他の兄弟姉妹を見習って、サブプライム用の契約を結んでしまったそうです。

 その後起きたのが、リーマンショックです。サブプライムローンが不良債権化し、バブルが崩壊。ローンを支払えない人や失業者が大量に出て、黒人の多くが、さらに厳しい生活に追いやられることになってしまったのです。

 黒人のクリスチャンたちが、幸せを願って下した決断が、彼らの首を絞めたことは、ショッキングです。子どもたちの幸せ、黒人コミュニティの社会環境の向上と安定を望み、しかも、教会内の兄弟姉妹とともに、判断したことでした。政府の後押しもあり、合法であり、神の前にも健全なことに見えたでしょう。

 結果を見てから「こうすればよかったのに」と指さすことは、フェアではありません。しかし、「教会の中に入る価値観を、見張らなければならない」、そして「兄弟姉妹みんながしていることでも、主の前で責任をもって一度見直す必要がある」ということを、思わざるを得ませんでした。(新田優子)