暗闇の中で見えるもの

以前、視覚障害を持つ方々と一緒に働いている時期がありました。完全に光を遮断した、真の暗闇の中の世界を、視覚障害の方の案内により、参加者がコミュニケーションを取りながら歩くという、一種のソーシャルエンターテイメントの場所でした。

 100%の暗闇に入った時、まず感じるのは恐れです。目の前や足元には何があるのか、隣にいるのは誰なのか。その時に、最も強いのは普段からそんな世界にいる視覚障害の案内人です。案内人は普段と変わらない世界を悠々と案内していきます。参加者はお互いの声、手、気配などを頼りに進んでいきます。少し慣れてくると、足元の葉っぱの感触、どこからか聞こえてくる水の音や鳥の声に敏感になり、人の声に安心感を覚え始めます。年齢もバラバラの見知らぬ者同士だったのが1時間ほどの暗闇散歩の後は、不思議な連帯感と親しみを覚えているのでした。

 そして普段、いかに目から入ってくる情報に頼り、左右されていたかを知るのです。「見えない者」が、暗闇の中では強者となり、「見える者」が弱者となる。普段見えている私たちの見ていたものは何なのか、非常に示唆のある体験でした。暗闇の中で際立ったものは「優しさ」「思いやり」「温もり」という、これまた目には見えないものでした。まとめると「愛」ではないでしょうか。

 これを考案したのは、ドイツのハイネッケという哲学者です。彼は、自分はドイツ人だと思っていましたが、母からユダヤ人の血が流れていると知らされ、民族や文化が異なるだけで差別や争いが起きる理由、その解決策を学ぶべく、哲学者になったそうです。その結果「異なった文化が融合するには対話が必要」と確信し、人が情報を得るために最も使う「視覚」を遮断すること、「暗闇を平和のために利用する」ことを思いついたのだとか。

 私たちも、この世で、見なくてもいいものを見るせいで妨げになっていることや、争いの元になっていることが多くないでしょうか。いわば暗闇のこの世界で、真に見るべき大切なことはほんの僅かです。見なくていいものは自分から遮断することも、ときには必要だなと思うのでした。 (津山祐子)