ジレンマ

 運転手の「ジレンマゾーン」て、ご存知ですか。信号の青が黄色に変わった瞬間の交差点のことです。そのとき、運転手は停車するか走り抜けるかのジレンマに陥るからです。法律では「黄色信号は止まれ」です。交差点直前で黄色に変わり、急ブレーキをかけなければ止まれない場合なら、そのまま進めます。しかし、赤信号への変わり目でも「黄信号なら突っ込め」の運転手が多く、事故が増えているそうです。

 ところで、交通信号に限らず、黄信号、いや赤信号に変わっているのに止まれないのが現代です。犯罪増加、道徳退廃、贅沢な生活、心の病の多発、教育の荒廃、家庭崩壊、自然破壊、地球温暖化・・・など、どこもかしこも黄信号、赤信号です。肺癌を宣告されてもタバコを止められない人のように、社会全体が目をつぶって赤信号に突入しているように思います。

 私たちの日常生活にも「ジレンマゾーン」がたびたび出現します。心や体が黄信号を出しているのに、止まれなくなっていることはないでしょうか。確かに、私たちは家庭的、社会的責任を負っていて、止まりたくても止まれないという現実があります。でも、止まれるところから止まり、生活から「ジレンマゾーン」を減らしたいものです。

 私たちは多くの誘惑に囲まれ、巧みに欺いて罪へと誘導する悪魔の声を聞かされます。でも、「迷ったら進め」ではなく、「迷ったらまず止まれ」です。主はカインに「罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたはそれを治めるべきである」(創世4・7)と警告されました。カインはできませんでしたが、私たちは治めましょう。

  しかし、私たちが黄色信号で止まるのは滅びないためではなく、むしろ人生の目標を達成するためです。私たちにある希望が私たちを自制させます。
「闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです」(Iコリ9・25)。

(2005-06-12)