嘆きの壁とも呼ばれる「西の壁」は、今はないエルサレム神殿の、壁の一部分です。紀元70年ローマ軍がエルサレムに侵攻し、神殿は破壊されてしまいました。イエスは十字架に架かられる前、都を見て嘆かれ、「一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やってくる」(ルカ19:44)と予告されましたが、その通り神殿と都は壊滅し、この日は今でも悲しみの日とされています。
現在、神殿跡の発掘作業が進められ、一部は「西壁トンネル」として公開されています。訪れる人々が足を止めるのは、巨大な石のブロックです。幅13m(バスより長い)、高さ3m、重さは600トン。乗客と荷物が載ったジャンボジェット機2台分の重さです。こんなに大きな石を、どうやって直方体に切り、丘の上まで運び、積み上げたのか。今でも謎なのだそうです。
ローマ軍の将軍になったばかりのティトゥスにとって、反抗するユダヤ民族を滅ぼすことは、実績を上げる絶好のチャンスです。長い戦いの末やっとエルサレムを陥落させた彼は、礼拝の中心である神殿を崩し去るよう命じます。人々を、「ほんとうにもうだめなんだ」という気持ちにさせて、精神的に潰すためです。兵士は命令に従い、積まれた石を、ひとつまたひとつと外に落としていきました。
しかし、先述した重さ600トンの石だけは、さすがのローマ軍もどうすることもできませんでした。押しても動かず、叩いても崩れない石に手を焼き、それ以上神殿の壁を破壊することができなかったのです。それで、西の壁の下のほうは、その石のところまで、当時のまま残っています。
堅固な土台があれば、それ以上崩せないわけです。見えない部分で、私たちが何を土台としているかが、すべてを左右します。600トンの石が壁の完全な破壊を食い止め、神殿跡を祈りの場所として残してくれたように、私たちの考えや行いの土台も、唯一の堅固なもの、主イエスへの信仰でありたいと願います。なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない」(Ⅰペテロ2:6)。(新田優子)