聖なる不安定(私はイオン!)

水素、ヘリウム、リチウム・・・世界はすべて「原子」で作られており、原子の特徴は、「電子(電気のつぶ)」の数で決まります。水素原子は電子1個、ヘリウムは電子2個です。神様はこのように、単純な構造でどんな複雑なものも造られる方です。

電子は、原子核の周りをぐるぐる回っていて、電子の軌道には定員が決まっています。たとえば、アルゴン原子の一番外側の軌道には電子が8個。8個はちょうど「満員御礼」の数です。それで、アルゴンは安定した物質と言えます。

面白いことに、アルゴンより電子がちょっと少なかったり多かったりする原子は、安定をめざして、電子の数をと同じにしようとします。原子には「安定志向」があるのです。どこかから電子を調達したり、逆に電子をいくつか捨てたりして、「アルゴンさんみたいになりたい!」と努力します。こうやって電子がもともとより増えたり減ったりした物質の状態を「イオン」と言います。塩素Clは、ひとつ電子を増やしてCl⁻に、ナトリウムNaはひとつ電子を捨ててNa⁺に、といった様子です。

イオンになった物質は、本来とは電子の数が違うので、実はより不安定な存在になります。しかし、その不安定さが、世界に様々な動きを作り出すのです。例えば電池。イオンが余分な電子を「やっぱりいらない!」という感じで放棄するので、電流が流れます。

要するに、「不安定な原子が、安定をめざしてイオンになる」→「イオンは実は、より不安定なので、いろんな動きが生まれる」ということです。

神様は、物質をもともと少し不安定な構造に造られ、そのことで動きを生み出しておられるのだと思います。意図的な不安定さ。この知恵に感服して、「聖なる不安定」と名付けました。 私たちにはみな、賜物や性格の違いがあります。それは、何か不足に見えることもありますが、神様が私たちの間に「動き」を作り出すために、そうなさったことだと思うのです。持っているもの持っていないものが違うから、互いに受け渡して神の意図された動きをどんどん作り出していけば良い。命を持たない原子でさえそうなのだから、と思うと、神様の意図の確かさを感じて、なんだかホッとします。(新田優子)