思ったものとは違っても

幼稚園年長の娘は、昨年11月頃まで、皆の前で話をしたり、歌ったり出来ず、時には泣いてしまうこともあったようです。普段はふざけて元気一杯なのに、園ではそんな様子だと面談で聞き、これから大丈夫だろうかと不安が頭をもたげました。翌月の聖誕劇は出来るだろうか、と。本人もその頃「劇やりたくない」と言っていたので、「なるべく台詞が少ない役を…」「色々前向きになれるよう励まします」と先生に話したのでした。

家では「イエス様はいつも一緒だよ」と何度も励まし、園では先生方が歌声を褒めてくださりで、なんと数週間もしないうちに皆の前で歌えるまでになりました。

 12月、役を決めていく段階になった時、娘が希望したのは「マリア」でした。台詞も歌も多い役です。驚くと同時に感動し、「できたらいいな」と期待しました。役決めの日の帰り、「何になったの」と尋ねると「兵隊さん!」「え??」。聞くと、他にもマリア立候補が現れ、二人で話し合い、最終的に娘が譲ったと。それを聞いた時、「気の強い相手だから遠慮したんだ」「幼稚園最後の劇、マリアをやる姿を見たかった」、そんな思いが残りました。

 「マリア、やりたかったんじゃないの?」と未練がましく聞く私に「兵隊さんやるんだよーん!」とすっかり切り替わり、スキップをする娘に、ハッとしました。最初は、歌えるようになっただけでもあんなに嬉しかったのに。もっともっとという欲は恐ろしいものです。

後日、先生から役決めのいきさつを聞き、娘をいじらしく思いました。そして、「役を譲ったいこちゃんには、もうひとつ大切な役をお願いしようと思ってるんです」と告げられました。  

 それが何なのか知らぬまま迎えた幼稚園クリスマス礼拝当日。ローマ兵の役をしっかり演じた娘は、劇の最後、皆の献金を神様にお捧げする役をしたのでした。まっすぐ前を見て歌う姿は本当に清々しく、胸と目頭が熱くなりました。自分の希望とは異なっても、喜んで受け取り全うする、それによって受ける祝福。娘を通して教えられた幸いなクリスマスでした。(津山祐子)