与える司祭、メンデル

メンデルという人を(おぼ)えていますか。エンドウマメの観察(かんさつ)で「メンデルの法則(ほうそく)」を見つけた人です。日本では中学の理科で学びますね。(かれ)は、遺伝(いでん)明確(めいかく)な決まりがあることをつきとめ、世界に名を(のこ)す大発見をしました。

しかしメンデルは、実は生物学者ではなく、司祭(しさい)牧師(ぼくし)のような人)です。修道士(しゅうどうし)(神学生のような立場)の時代、修道(いん)中庭(なかにわ)で、たった8年間だけ、エンドウマメの交配(こうはい)実験(じっけん)をします。研究(けんきゅう)成果(せいか)を1865年に発表しますが、当時は全く注目(ちゅうもく)されませんでした。その後昇進(しょうしん)して司祭になり、仕事が(いそが)しくて研究を(つづ)けられず、結局(けっきょく)評価(ひょうか)ゼロで人生を()じたのです。メンデルの法則(ほうそく)注目(ちゅうもく)されたのは、死後(しご)50年()ってからでした。

さて、生前(せいぜん)に評価されなかったことは、(たし)かに残念(ざんねん)です。しかし私は、それが良かったのではないかと思います。

理由(りゆう)の一つめは、進化論(しんかろん)との論争(ろんそう)()()まれずにすんだことです。おりしもダーウィンが進化論を(とな)えた時代。メンデルも『(しゅ)起源(きげん)』を読みましたが、獲得(かくとく)形質(けいしつ)が世代を()えて(のこ)るという見解(けんかい)に、疑問(ぎもん)(てい)したようです。もし生物学者として注目されていたら、残りの人生を、進化論との不毛(ふもう)論争(ろんそう)(つい)やしたことでしょう。

そして二つめは、司祭になったために、「分け与える」賜物(たまもの)が大きく用いられたことです。メンデルはモラヴィア出身で、同郷(どうきょう)の音楽家ヤナーチェクがまだ若いころ、経済的(けいざいてき)にサポートしていました。ヤナーチェクが世界的存在になったのは、メンデルの祈りと助けがあったからです。また、メンデルは晩年(ばんねん)故郷(こきょう)消防団(しょうぼうだん)献金(けんきん)(ささ)げています。お礼として団員に認定(にんてい)され、非常に喜んだようです。人を助け、助けた人の喜びをともに喜ぶ人だったのですね。

メンデルは立場を問わず分け与える人であり、葬儀(そうぎ)には、プロテスタントやユダヤ教からも多くの人々が参列(さんれつ)しました。生物学者ではなく司祭としての道へ(みちび)いたのは、主です。そして、生物学者としては、死後に光栄(こうえい)を受けることになりました。ここに、与える人メンデルを愛した主のご計画があります。(新田優子)