メンデルスゾーンとバッハ

バッハをご存じですか。偉大な作曲家で、有名な曲は「主よ、人の望みの喜びよ」、「トッカータとフーガ ニ短調」(出だしが、チャラリー♪っていうあの曲)。ドイツで生まれ、ルター派のクリスチャンです。「バッハ」とは「小川」の意味で、よくある普通の名前(日本で言えば小川さん)だそうです。今でこそ、キリスト教音楽の父とされますが、生前は、オルガン奏者としては知られていても、作曲家としては完全に埋もれた存在でした。

その「バッハ(小川)」を、大海のように大きな存在にした人がいます。メンデルスゾーンです。ドイツ人で、彼の家族は祖父までユダヤ教徒でしたが、父の代でキリスト教(ルター派)に改宗しました。作曲家として非常に有名で、よく知られたものには「結婚行進曲」があります(出だしが、パパパパーン♪っていうあの曲)。幼いころから才能を見出され、9歳で初演奏会を開いたほどの早熟ぶりでした。その彼が14歳のときに、音楽史を変えるものを手にします。バッハの「マタイ受難曲」の楽譜です。

「マタイ受難曲」は3時間もある大曲で、マタイの福音書におけるキリストの受難を歌、セリフ、演奏で紡いでいくものです。楽譜は難解、演奏は難しく、普通の人が気軽に手をつけられる曲ではありません。しかし、メンデルスゾーンは、当時全くの無名だったバッハの曲に価値を見出し、20歳のときに自らの指揮のもと、この曲を演奏します。公演は大反響を呼び、バッハの曲は死後80年にしてやっと世に出ることになったのです。後に、「バッハのキリスト教音楽が世に知られるためには、ユダヤ人が必要だった」と評されました。(受洗したあともメンデルスゾーンは常にユダヤ人と見られており、死後に建てられた彼の銅像を、ナチス・ドイツが破壊したほどです)。

彼は、自分が良きものを作りだすだけでなく、良きものを見出して世に送り出しました。それは例えば、バルナバがタルソに埋もれていたパウロを捜し出し、宣教者として用いたのと似ています。私たちもそのような、サッカーで言うと「アシスト」の働きで、主のみわざを伝えることに貢献できるのです。