1907年1月、平壌(ピョンヤン)のチャンデヒョン教会で開かれたリバイバルを求める集会は、何事もなく終わろうとしていました。そのとき、信徒から尊敬されていたキル・ソンジュ主席長老が「お話があります」と前に進み出ました。会衆は何か報告だろうと思いました。しかし、長老の口から出てきたのは意外な言葉でした。
「私は、アカンと同じ罪を犯しました。私のために、主はリバイバルを起こされないのです」と罪の告白を始めたのです。「友人が死ぬ直前、私を信頼して、200ウォンものお金を託しました。子供が大きくなったら、渡してやってほしいと。しかし、私は急な入用ができて100ウォン使ってしまったのです。私はすべて弁済します。」友人は死に、隠せば誰にもわからないことでしたが、主と会衆の前に畏れをもって告白したのです。
この告白から平壌にリバイバルが起こり、半島全土にその火は広がっていきました。そして平壌は東洋のエルサレムと呼ばれるようになりました。このリバイバル後、韓国は日本に併合され、苦難の時代を迎えます。それを見越したかのように、主はその試練を耐えぬく信仰を韓国民に与えられたかのようです。そして、日本からの解放後、リバイバルはさらなる大波となって国境を越えていきました。
主イエスの宣教は「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)の一声で、始まりました。悔い改めは、この地に神の国が来る鍵です。悔い改めが、教会に、そして民族にリバイバルを起こします。
私たちの罪の告白の不十分さが、家族の救いやリバイバルを妨げているのかもしれません。同じ罪を繰り返すかもしれないという恐れに屈せず、真剣に罪を告白しましょう。 クリスチャンは悔い改める(主に心を向け直す)ことで成長します。クリスチャンの品性は悔い改めとともに作り上げられていきます。繰り返し悔い改め続けるなら、1年後には必ず、主によって新しく造られた私たちがここにいるはずです。