人間ドキュメント

 先週の第二回人間ドキュメントも、聖霊の働きを実感させる時でした。心動かされて、最初から最後まで涙に溢れた方もおられました。翌日、青柳さんの顔を見て、感動がぶり返して突然滂沱の涙を流された方もおられました。主が青柳夫妻になしてくださった恵みのわざ、時間と労力を捧げて準備し人間ドキュメントを演じられた方々、それを祈りで支え、また家族や友人を導くために祈ってこられた方々が一つになって出来上がったことでした。心から主をたたえます。

 来て下さった方々の中には、アンケートに「(青柳夫妻のようにするのは)私には無理だ」と書かれた方もおられました。確かに、見ている側からすれば「あんなことは自分にはできない」と引いてしまっても不思議ではありません。でも、青柳さんのように求め始めると、主が導き助けて下さって、できないことができてしまうのです。あれは青柳さんだからできたのではありません。青柳さんが求め始めたとき、主が働いてくださったからできたのです。青柳さんだからできたのであれば、人間ドキュメントをする意味はありません。主に信頼すれば誰にでも起こることであるから、証しには意味があるのです。青柳夫妻自身が、あの時を振り返れば「あれは私たちではない。主がそうさせてくださったのだ」と言われることでしょう。ですから、実質は「人間ドキュメント」ではなく「聖霊ドキュメント」です(「使徒の働き」が本当は「聖霊の働き」であるように)。

 この日の感動を大切にしましょう。「私にはできない。しかし、神にはできる」のです。

  私は、教会員の家族の救い、独身者の結婚のために毎日祈ります。同じようにされている方も多いでしょう。知ってください。あなた個人の問題であっても、一人で奮闘しているのではないことを。多くの兄弟姉妹の祈りの手が密かに挙げられています。喜びの日を一緒に迎えたいと願って。