感覚に頼るな

「愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。」
(箴言12・15)

ミシガン州の男性の話。深い森林を散策して、夕闇が忍び寄り始めたころ家路に向かった。馴染んだ道なので、自分の感覚に頼って正しいと思う方向に歩いていった。しばらくして、磁石を取り出して確認すると、東に向かっていたはずなのに磁石の針は正反対の西に向いているではないか。彼は自分の方向感覚に自信があったので、磁石が狂っていると思った。しかし、今まで磁石が彼を裏切ったことはない。思い直して、反対の方向に向かうと、森から出ることができた。

人間は、自分の体験的知識や感覚や記憶が正しいと信じたい生き物のようです。この男性は、磁石の示す方角が自分の感覚に合っていれば正しい磁石、合っていなければ狂った磁石だと、考えそうになりました。私も、地図と私の方向感覚が合わないときは、まず「地図が間違っている」と思う傾向があります。自分の記憶や感性に合わないものは客観的事実でも受け入れないという態度は、とんでもない結果をもたらします。それは私も体験済みです。森で迷ったときは、自分の感覚に頼らず、迷わず磁石を信頼して進むべきですね。飛行機のパイロットも自分の感覚ではなく、計器を信頼する癖を徹底的に身につける訓練をするそうです。

私たちの信仰生活でも同じ危険があります。自分の願いや考えと合致する聖書の言葉なら受け入れ、気に入らない教えなら無視するという姿勢をとるならば、災いをもたらします。それは、神を神とせず、自分の思いを神に承認させることです。主に従っているように見えても、実は自分が主で、神が従になっているのです。主客(主従)転倒です。

キリストの弟子になるとは、自分の感覚や体験的知識や願いではなく、自分の判断や行動の基準をキリストに置くことです。それを徹底的に心に染み込ませることが弟子訓練です。