2011年の東日本大震災の体験と見聞を期に始まった地方移住計画も、いよいよ、6月(中旬以降)長野県佐久市への引っ越しで第一歩を踏み出します。当初、首都圏に予告されている大災害に備え、「逃れの地」を用意するというビジョンを掲げました。その後、「高齢者安住の地」「開拓教会」「キャンプ地」、次いで「農業で起業」ということも考えました。今は「人を育てる」「人と人の交流」ということを中心に計画を練っています。
しかし、確定した綿密な計画というのはありません。実際に住んでみて、どのような必要があるか、どのような人との出会いがあり、つながりが築けるかで、決まって来るだろうと考えています。
しかし、2000年前、エルサレムに最初の教会ができたときも、使徒たちは綿密な教会建設計画を立てて、聖霊降臨を待っていたわけではありません。執事会(役員会、ステパノ会)という組織も、最初から予定して作ったのではなく、教会内で食事の分配に問題が生じたから、その対処で始まったのです。
パウロも綿密な伝道・教会開拓計画を練り、それを教会に提出して旅行に出たのではありませんでした。ただ教会に祈られて送り出されました。行く先々で人との出会いがあり、その人々、その場所に対応して、各地に教会が建てられていきました。やがてローマ帝国内に教会と人のネットワークが形成されました。
佐久では、教会として毎主日礼拝をささげます。その名は佐久・キリストの栄光教会にします。佐久Gとお呼びください。しかし、従来の開拓教会というイメージではありません。聖書の学び舎(や)、聖書合宿やクリスチャンの交流の場としてスタートします。また「あかしあの木」出版、「三テーマ」による聖書の学び・YORIAI、BFP支援、教会塾との連携協力、人材プロモーションの活動なども続けます。
できるだけ多くの人が宿泊できるように整え、できるだけ色んな地域から人を迎え、2、3年のうちには、集会所も建て、宿泊スペースも増やしたいと願っています。むろん、GCC久米川の皆さんを優先的にお迎えします。詳細は、その状況に応じて報告します。(川端光生)