日本より一足早く、韓国の大学に通った娘の卒業式がありました。私の父と私は娘に同伴するつもりで旅程を立てました。しかし、その日が近づくにつれ、韓国に行く飛行機の便がどれも予約が満席になってきている、と航空会社で働く夫が心配しだしました。というのは、我が家は飛行機に乗る際はほぼ、社員搭乗券を使って乗るのですが、それは空席がないと使えないのです。皆さんにも祈ってもらい、今までそうはいっても乗れなかったことはないので、私はあまり心配していませんでした。そして当日、早朝に空港につき、私の父は予約をしていたため、さっさと出国手続きの列に消えていきました。残された娘と私は搭乗手続きの締め切り時間まで結果を待っていましたが、なんと、結果は「一人だけ乗れる」ということ。もちろん娘の卒業式ですから、娘はいそいで走って行きました。とりあえず、良かった。そして私は次便の空きを待つことにしたのですが、それも一席も空きがなく…とにかく夜まで全て満席とのこと。悲しい気持ちのまま家に帰る中、このみことばを思い出しました。「あなたがたは、むしろ、『主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう』と言うべきです」(ヤコブの手紙4:15)
たとえ、願う道が閉ざされた時も、目の前が真っ暗に思えた時も、御心に信頼して感謝できるだろうか。今まで神様が願いを叶えて下さった事を当たり前のように思って来なかったか。自分の願い通りになることだけを恵みと思って感謝していただけではないか。など、苦い思いの中、色々と考えさせられました。何事も神のお心ひとつで決まります。究極的には、イエス様でさえ、再臨の日がいつになるか、それは父なる神だけが知っておられると言われました。きっとイエス様は早く私たちの所に来られたいと願っておられるでしょう。しかしその時を決められるのは神様なのです。今一度、全てにおいて主の主権を心から認め、従い、喜ぶものになりたいと思わされました。
「目の前の 扉ことごと 開かねども 共にいる主に 従いまつらん」(きのつら・ゆき)