つい最近まで右手の指2本に醜い皮むけがありました。日曜朝に急いでお弁当作りをしていて火傷をしてしまったのです。その日の礼拝中、ジンジンと痛みました。その後ぷっくりと皮膚が膨らみ、数日後には茶色くなりました。人にはあまり見られたくないし気になって仕方ない状態。それから少しすると茶色くゴワゴワしていた皮膚が自然とめくれてきて、新しく綺麗な皮膚が顔をのぞかせました。
昨年、我が子らは大怪我をしました。娘は、下校時に転んでおでこに大きなたんこぶと擦り傷。長男は、川遊び中に頭頂部を岩にぶつけ、裂傷、流血。どちらも見るからに痛々しく、綺麗に治るだろうかと不安になるほどの怪我でした。数年前は、次男が転んで石で手のひらを切りました。傷の中の砂を洗い流され泣く姿、目の前で縫われる様子はゾゾッ、かわいそうだけど為すすべもなく。しかし、3人共、今や傷はどこだったっけ?と思うほどに綺麗に皮膚が再生され、見る影もありません。
神様の造られた体、細胞の再生力に驚かされます。また、彼らが怪我した日は、休診日だったり診察終了時間というタイミングの悪さだったのですが、ちゃんと適切な病院、専門家医が用意されていました。そして不思議にも、娘が怪我したという連絡が学校から来たとき、私はぬくぬいで教会におり、長男が川で怪我したときは、一緒にいたのは教会の家族でした。いずれも、祈って送り出されたのです。先日、母が車から落下して大腿骨骨折をしたときもそうでした。弱い私が不安で揺るがないよう、神様が支えてくださったのだと思います。 罪もまたこうした怪我と似ています。痛みや醜さに最初は泣いたり悶えたり、隣にいる者も共に痛む。もう元に戻れないように思えても新しい皮膚が再生されるように、罪によって裂かれた傷もやがて綺麗に癒されていく。罪の赦しと復活とを知っている私たちは幸いです。共に祈る神の家族が与えられていることもとんでもない恵みです。イエス様の受難と復活に改めて思いを巡らす受難週、めくれた皮膚の下のツルツルの指を触りながら、そんなことをしみじみ思ったのでした。(津山祐子)