無敵の人

職もお金も、人間関係も社会的地位もなく、失って惜しいものが何もないから、罪を犯すことに心理的抵抗のない人間を「無敵の人」と呼ぶのだそうです。脅迫事件を起こした36歳の男性が裁判の意見陳述で「無敵の人」を自称したことから、時の言葉になりました。彼は、自分の人生をクソだと言い捨て、こう述べています。

「自己愛が強くて、怠け者で、他者への甘えと依存心に満ち、逆境に立ち向かう心の強さが皆無で、被害者意識だけは強く、規範意識が欠如したどうしようもない人間であることは、自分自身が誰よりもよく分かっています。」「それでも自分は両親や生育環境に責任転嫁して、心の平衡を保つ精神的勝利法をやめる気はありませんし、やめられません。」

 私は最初、「無敵の人」と聞いたとき、幕末の無刀流の開祖山岡鉄舟のことを思いました。彼は、幕府方の鉄舟は勝海舟に遣わされ、官軍の総大将西郷隆盛の陣に単身で乗り込み、江戸城無血開城を交渉した人物です。西郷は彼を「生命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ」者は始末に負えない、と評しています。つまり現代の「無敵の人」とは逆に、失って惜しいものがないから日本を救う偉大な働きをした「無敵の人」でした。

クリスチャンは、すべてのものを失っても、キリストがうちに残ります。パウロは「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ2:20)と言いました。

ペテロもキリスト以外の何も持たず、キリストがうちに生きておられるので、それで十分という生き方をしました。それゆえ、美しの門で足の不自由な物乞いの男に、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう」と言って、キリストの御名で癒すことができたのです(使徒3章)。

今日のクリスチャンの中にも、キリスト以外には何も持たないかのように生きている「無敵の人」がきっといます。

(川端光生)