意義ある眠り

「春眠暁を覚えず」(孟浩然「春暁」)といいますが、最近は睡眠不足と疲労で、年中昼間でも眠くなる人が多いですね。睡魔に襲われたとき、我慢するのは非常に辛く、能率も落ち、体にも悪いようです。しかし、睡魔に委ねて眠るのは最高に気持ちよく、このまま天国へ行ってもいいという気になります。

というわけで、もし礼拝中、お眠りになるなら、まずこうお祈りください。

 「平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます」(詩篇4・8)。

主からこんなおことばがあればいいですね。
 「あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは心地よい」(箴言3・24)

 眠られたら、ぜひ天国の夢をごらんください。眠りから覚めて、ヤコブと同じ体験ができれば素晴らしいと思います。

 ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った(創世記28・16)。

  詩篇の記者もこう歌っています。
 「主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる」(詩篇127・2)。

 しかし、サムソンのように愚かな眠りになりませんように。
 サムソンは眠りからさめて、「今度も前のように出て行って、体をひとゆすりしてやろう」と言った。彼は主が自分から去られたことを知らなかった(士師記16・20)。

 主を信頼する者は眠っているときも、主に守られています。
 「見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない」(詩121・4)。

 でも、やはり「すべての営みには時があります」(伝道者3・1)から、眠るのにも時があります。