偽物で生きるな

20年近く前、某国に旅したとき、その国の某一流百貨店の地下ショッピング街で、ワレットを買いました。皮製で使い勝手もよく、当時の日本円で千円でした。物としては適正と思えました。店員は「本物よりもいいですよ」などと言います。つまり、ブランドのフェイク(偽物)でした。結局、使わぬままなくしてしまいました。「本物よりもいい」という自信があるなら、堂々と正直に自社名で、そして適正価格で売ればいいのにと、思いました。ノンブランド良品志向の人たちが、その良さを認めて必ず買うようになるでしょう。物は良くても、「偽物」として製造販売するなら、会社の品格は育ちません。

先だって、公正取引委員会が外食産業に、「成型肉をステーキと呼ぶことを禁じる」お達しをしました。成型肉とは、一枚肉という「ブランド」ステーキに対する、いわば「フェイク」ステーキです。ブロックで取れない部分の肉を、食材活用技術で巧みに合わせて、ステーキに見えるように「整形」したものです。カバンや靴などは堂々と合成皮革を表示しているように、成型肉も正直に「合わせ肉」と表示して適正価格で売ればいいのです。

すしネタの合成イクラは、本物よりもカロリー控えめで、健康が気になる人も食べられるそうです。むしろ低脂肪の合成イクラと正直に表示したほうがいいのです。

「本物ではない」という屈折した思いを隠して生きるなら、品格は生まれません。クリスチャンもそうです。自分は行いが立派ではないからクリスチャンと名乗るのが恥かしい、といった屈折した考えは捨てましょう。むしろ自分は惨めさや空虚さを認める謙虚さがあったからこそ、クリスチャンになれたのではありませんか。弱さは多いが主に信頼してやまない人は、本物のクリスチャンです。本物のクリスチャンという自覚で生きることで、行いも伴うようになり、品格も備わってきます。卑屈と謙遜は別物です。