柾目の美しさ

「幹が真っ直ぐに伸びている木は、素直で美しい木目の板が採れます。それを柾目(マサメ)といいますが、定規を当てて引いた直線とは異なり、どこかに揺らぎを持ちつつ真っ直ぐで、一つとして同じ線はないのに、全体としては一体の群れをなしています。節があったらあったで、面白い曲線が生じます」(早川謙之輔『木に学ぶ』新潮社)。

 柾目は美しいが、定規で引いたような直線であれば、そんな板から安らぎは生まれないだろう。「揺らぎ」が快さ、節目の曲線が愉快さを生み出している。

どうしてそんな快い「揺らぎ」ができるのか。それは自然の厳しさが描いた跡である。ただし、その厳しさに耐え通さなければならない。じっと耐えて、傷が入ったら修復しなければならない。節は新たな発展生長の跡である。真っ直ぐ上に伸びることを忘れなかったしるしである。

私は中学の時、卓球部に属していた。ラケットはペンホルダーの白木の単板を愛用した。木目が柾目で縦にびっしりと詰まっているものが最良であった。その方が反発力がよく、割れにくいからだ。つまり、生長が悪く年輪が狭いものが良質だったのだ。いや、生長が悪いというより、恵まれない環境で、じっくり時間をかけて、充実した育ち方をしたことを意味する。

どの木も同じ生命力と自然環境への対応力をもって生長する。その力の差は左程ない。違いは、ただ置かれた自然環境がどれだけ厳しかったによる。
人間も、やはり生温い環境より、すこし厳しいぐらいの環境の方がいいようだ。「辛い。苦しい。主よ、憐れんでください」と叫びつつ、信仰を持って耐え忍んでいるうちに、強靭な人格がおのずから建て上げられ、人を憩わせる雰囲気が育っていくのかもしれない。

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである」(伝道者 7・14)。

091108