あなたは心配性ですか。それとも楽観的ですか。
無用の心配をすることを「杞憂きゆう」と言います。これは中国の「杞」という国の人が、天が落ち、地が崩落するのではないかと心配した故事に基づく言葉です。心配性の人は、その故事が誇張とは言えないほどに、悪いことを悪いほうへと妄想して苦しみ、眠れなくなります。しかし、心配性の人が心配していることの90%は、実際には起こらないのです。心配性の人は、思い煩って、どれだけ時間と睡眠をムダに奪われていることか。もしあなたが心配性なら、思い煩わない鍛錬をすべきです。
主の命令に従いましょう。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(マタイ6・33、34)。パウロもこう教えています。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」(ピリ4・6)。
一方、楽観的であればいいというわけでもありません。「起こってほしくないことは起こらない」という思い込みは賢くありません。ダチョウは危機が迫ると、頭を地面に突っ込む性質があるそうです。危機を見ないことで回避するのです(オストリッチ・コンプレックス)。重大な問題があっても直視しないなら、突然滅びが臨むというのは、旧約聖書の歴史が繰り返し語っていることです。今日と同じ明日が来るわけではありません。今まで頼っていたものが崩れ去る、いつもそばに存在したものがなくなる、日常が消えてしまう。そんな事態はいつでも起こりえます。「人々が『平和だ。安全だ』と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります」(Ⅰテサ
5・3)。昨年の震災はその警告としても受け取るべきだと思います。
無用の心配は辞めましょう。と同時に、「苦難の日」や「主の日」のための備えも怠ってはなりません。