台風18号は大きな被害を残しましたが、やっと爽やかな秋がきたようです。
子供の頃、秋の楽しみといえば、栗、柿、ザクロ、イチジク、グミ、桑の実、マツタケ、アケビ・・・でした。栗拾いには裏山に行きました。拾うといっても、イガから取り出さなければなりません。まだ不器用な子どもなので、刺さって痛い思いをしました。皮むきも爪に渋皮が入り不快でした。柿は、木がもろいので高い所の実を取るのはひやひやでした。細い枝のぎりぎりまで登っているのを見つかり、じいさんによく叱られたものでした。ザクロ、イチジク、グミだけは、家の敷地に腐るほどなっていました。しかし、目の前にあるものにはなかなか手を出しません。マツタケやアケビは、「ヌスビトハギ」の実の運び役をしながら、道なき道を山奥まで入り込んで探しました(マツタケは実家所有の山で、です)。苦労して手に入れたものは、実においしいのです。恵みは「イガ」の中に入っているのだと思います。
それらの秋の実りは、子ども頃の私には、すべてただでした。東京に出てきて、お金を出して買わなければならないことが、しばらくは受けいれられませんでした。「柿一個になんで100円も出さなあかんのや。ザクロ1個が300円、アケビが500円、マツタケ数千円???アホラシ」。秋の恵みが法外な値段で売られていることに、腹立たしささえ覚えました(今は、収穫の苦労に納得して買っています)。
すべては主の恵みです。今は、多くの恵みがお金さえ出せば買える世の中です。それはそれで感謝すべきでしょう。しかし、苦難の中で見つける恵みの喜びは格別だということも思い出したいですね。でなければ、苦しみはただの苦しみだけで終わります。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩 119・71)
お金では買えない恵み、苦しみの中でしか見つけ出せない主の恵みがあるのです。